てきとうなはなし

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素敵なブログを読んで、そういえばもう10年くらい前に私もちっとも笑わない数少ないうちわにファンサもヘタクソな翔太に笑って欲しくて生まれて初めてくらいにうちわを持ったんだよなぁ、と思い出した。無表情で踊り続ける子だった。翔太だけじゃなくすのーまん(ミスノ)自体そうだったから、滝沢さんに何回も笑いなさいって言われてた。
アイドルなんだから笑いなさい、って。


すのに何かあるたびに、主演映画の公開が終わったらミスノがなくなるだろうことを肌で感じてたあのヒリヒリした空気感、
直後の野球大会で抜けた2人と一緒にはけようとしておまえらはこっちじゃないってなってオロオロしてた6人、
エビジの初代々木で全く笑わないやる気もない翔太、
5人になったら終わりじゃないか、と不安で仕方なかったころ、
謎クリエで翔太がひたすら真顔だった、というレポ、
そういうことばっかりが思い出される。
ジュニア担なんて本人たちが与えてくれる空間以外苦しいことばっかりだよ。


去年の時点ですら横アリ単独が決まったとき、友だちに「思い出づくりかな」って思わず言ってしまうくらい、いつもギリギリ踏みとどまってたユニだった。


バックを忠実にこなすのが得意なユニだと思われてるけど、昔はついた先輩のファンからちゃんとやれよ、って言われることもたくさんあったし、明らかに翔太筆頭に何人か手を抜いてんなって時もあって、私は何回も何回も怒った。
ファンのバカな戯言だけど、基本的に良くも悪くも素直な子たちだった。
滝沢さんもプレッシャーですぐ泣いてしまうような素直さが見捨てられなかったんじゃないか、とか勝手に思うけど未だにどこを見込んでたのかよくわからない。
でも滝沢さんだけじゃなく、亀梨くんにもエビキスにも他にも色んな先輩に助けてもらったし、そうしてもらえる努力はしてきた子たちだと思ってる。
できないことはないと思わせないと存続できなかった。
できるようになったらたまに飴を与えられて、便利屋だと本人たちもファンも思う扱いされて、すのがいればなんとかなると思わせてたことと、比較的人気があったことだけが支えで。
でもいつまでも周りのジュニアができないわけじゃない、年下の子たちが育たないわけじゃない。
人気のピークは2014年くらいだったんじゃないかな。
いつかは行き詰まるのがわかってたから、私は焦ったりもしたしそこを考えないようにしてた。


バックを忠実にこなすのがうまいユニなんだから絶対的センターがいたらそれは相乗効果になるんじゃないかな、と本気で思い始めたのは、ケンティのバックについたころ。
本人たちには酷なことだとしても、私は6人で心中するよりそっちを選んで欲しかった。
私が翔太を6人を見ていたかったから。
高校卒業するとき、ユニが解体するとき、あべちゃんが受験で休んだとき、20才になったとき、大学卒業するとき、後輩がデビューしたとき、いつだって誰かが辞めることを覚悟してたけど、みんな残ってくれた。
いわふかだけ別活動が増えた時も、悲しかったけどいわふかにとっていい方向に行くなら、それはしかたないことだと言い聞かせてた。でも戻ってきてくれた。
ここまできたら何としても全部全部やりきって欲しい。
名前がなくならないという喜びは『岩本たち』って呼ばれてた苦しさが教えてくれたし、去年の色んなことで心中なんていいもんじゃないって思い知ったから、余計に今はそう思う。
もう立派な大人で橋本が加入したときのABCより年上で、ジャニーズとして10年以上いるんだから、本人たちもファンが心配すること以上にわかってることがたくさんある、と私は思う。
そんなにバカでも子どもでもないはずだ。


だから人選にはびっくりしたけど増員自体にはそんなに驚かなくて。
ただ『滝沢さんってそんなにすののこと考えてくれてたんだ』という方が驚きだった。
宮ちゃんが時代劇に出ると聞いたとき、ずっと一緒にいてくれたと聞いたとき、呑気に(あー滝沢さん本当にすのがかわいいんだー)って改めて思ったくらい、あまりよくわかってなかったかもしれない。
渡辺担として10年の間にどうして翔太に役をくれないのどうしてそんなに当たりが強いの滝沢さんは翔太のこと嫌いなの、って思ったことは正直何度もある。
前年に一緒に名もなき農民をやってたふっかが翌年には三郎になった時は本当に滝沢さんめ…!ともなった。
何度もあるけど、ふっか以外どうでもいいんでしょなんて言うにはチャンスも出番もたくさんもらった。
ソロコンでピンクのポンポンを持って踊る翔太が後ろを振り返って滝沢さんにファンにも見せたことがないような笑顔を見せたとき、翔太は本当に滝沢さんが好きなんだなぁ、と思った。
信頼してない人に見せる笑顔じゃなかったから、私は翔太の笑顔を信じると決めた。

 


ただ人選には本当にびっくりした。
ラウールくんのことはこれから知ってくだろうしまだ15才なのに少し申し訳ない気持ちもないこともない。彼がセンターなのかもわからないけど。
エイトファンとして関ジュに対する気持ちでただ康二にはがんばれ、と思う。
なにわは丈か康二かどちらかだろうし、そしたら横倉がどっちを後押しするかは明白だもんなぁって、なにわ結成のときぼんやり思ってた。
でも目黒は絶対に選んで欲しくないところから選んでくれたな、と思った。
ずっとずっと私が見て見ぬ振りしてた、かつてほぼ同じ立ち位置にいたはずの人たちが新たに作ったユニから選んで欲しくはなかった。
元々滝沢さんのバックとしてユニットができたはずなのに?という疑問はあったけど、こっちはこっちで必死だったからずっと見て見ぬ振りしてた。
滝沢さんを博愛主義者だと思ってたわけじゃない、KAT-TUNにだってエビキスにだって明らかに好きな子とそうでなさそうな子といたから。
ただこういう形になるとは思ってなかった。
これまでのことも含めて恨まれても仕方ないな、と思ってる。
私なら全力で恨むと思うから。
だけど悪魔に魂を売ったので、私はあの子たちが残るならその恨みも引き受ける。


ただ9人になったらデビューできるの、なんて簡単に言わないで欲しいな、とは思ってしまう。
6人がどんな気持ちでオレたちは便利屋じゃないって、ものすごい勇気を持って言ったのか、6人で生き残るために「デビュー以外の道を探してる」って言ったのか、それでももう一度「デビューしたい」って言い始めたのか。
滝沢さんが色んな負の感情を引き受けてまですのの延命措置を取ったのか。
私はただすのを応援していく以外、その気持ちを返す方法がわからない。
応援してね、好きでいてね、ってそういうのが不得手な自担に言われちゃったらわかった!って言うよね。

ファンになってからしばらく私はすばるくんを疑ってた。
いつかグループより自己表現をとる人だと。
ずっと心の中ではそう思ってた。
灰色のカーテンの暗闇からあなたを連れ出したヨコヒナに感謝してよね、くらいに思ってた。
傲慢な考えだし、今思えばそもそもジャニーズがエイトが嫌いならさっさと辞めてたはずだし、まだそのころは他のメンバーが彼のことをどんな風に思ってたかよくわかってなかった。
関ジャニ∞のドラマ性と関係性、そしてファンへの在り方に焦がれてファンになったから、それにいつも水を差すように見えたすばるくんの態度は気に食わなかった。
嫌いだったわけじゃなくて、内のこともあったしこれ以上ただメンバーの誰かを悲しませるようなことをしないで、と願っていた。

 

フラフラはとにかく嫌いだった。エイトでは見たことのない顔をしているすばるくんを見るのが嫌すぎて、お台場のテントは確か初日に行ったと思うけど、アンコールで立たなかったし、手繋ぎも絶対嫌だった。本当に腹が立ってたから。
フラフラがなくなってやっと居場所を関ジャニ∞にしてくれたときは本当に嬉しかったし、そのあたりでようやくメンバーのほとんどがすばるくんのファンで崇高してることに気づいたような気がする。
本音を言うとあの頃のやすばもあまり好きじゃなかった、と思う。
2人だけの2人にしかわからない世界観で、他のメンバーを、特にヨコヒナが入れない世界みたいなのが許せなかったんだと思う。
横山さんだけは崇高してるように見えなかったけど、いつからか2人がプライベートでずっと一緒にいるようになって、戸惑ったりもした。
すばるくんに唯一なにかをはっきり言える人がいなくなってしまったのではないか、とそれでいいのかと。
まあ結果として大倉がいたのだけど。
フラフラ前後くらいからメンバーがみなすばるくんの手を離さないためにできる限りのことをしようとしてるように見えた。
私が好きになった関ジャニ∞のドラマ性の大部分を担っていたから、それは好きだった。
どこかにふらりといなくなりそうなすばるくんを繋ぎ止める6人が好きだった。

その変わった関係性が共依存に見えることもあったけど、おもしろくて好きだった。

 

10周年を迎えたときいつもファンのことばかり考えてきてくれたから、これからはもっとみんな個人で好きなことしていいよって思ったけど、本人たちは本当に全員同じだったかはともかくグループでなきゃ意味がないように見せてくれた。
それに関ジャニ∞は大きくなってしまった。メンバーもファンも望んでいたことだけど、私はすばるくんが壊れたらどうしようと思ってた。

自分を押し殺すのは上手くない人だから、って。
ソロコンで関ジャニ∞のTシャツ着てアイドルの関ジャニ∞を名乗るすばるくんに、そんなことしなくていいもう疑ってないから、って思いながら、それでも安堵してる自分がいた。
でもムリやり自分を閉じ込めたりしているならいつか崩れるんじゃないかと思ってたりもした。

すばるくんは私が想像するよりずっとずっと大人で真面目できちんと自分で自分をコントロールできる人だったのに。

私ももうすっかりすばるくんを崇高していた。
味園も関ジャムも彼が自由になれるなら何でも嬉しかった。

この2年、アイドルをやりきるすばるくんが一体どっちの方向に振れるのかずっと窺っていたけど、メンバーがあまりにメンバーを好きで信頼してたから、そんな風にする私がダメなんだなぁと思ってた。

 

結局いつもどこかで疑ってたんだと思う。
だから週刊誌の見出しをツイッターで見たとき、その時が来たんだな、って思った。
中身の理由がくだらなくて一度は安堵した時、それでも「絶対辞めるわけない」とは言えなかった。
絶対がないことはこの10年間でもう重々知ってた。
本気ならメンバーが彼の意思を尊重してしまうこともわかってた。
大の大人がした大きな決断を誰も止めることができないことも、10代のころに決めた決断が長い年月の間に形を変えないことなんてないということもわかってた。つまらない大人だから。
36才を人生の半分というのは切ないという意見も見たけど、人は明日死ぬかもしれないことは2011年に思い知った。
すばるくんは2度経験してるんだから、もっとわかってるはずだ。

それにあんなに生きてるということを理解してる人なんだから。

 

友だちや家族みたいな関係じゃなくてもっとビジネスライクだったら、フラフラが続いていたら、エイトがこんなに大きくならなかったら、関ジャムがなかったら、すばるくんに音楽との付き合い方を教える仕事や機会がなかったら、6人がすばるくんのことをこんなに好きじゃなかったら、すばるくんが関ジャニ∞をこんなに大事にしてくれなかったら、
思いつく限りのたらればを考えても、結末は時期の前後はあれど今と同じだと思う。

 

ずっと関ジャニ∞自体を疑ったことはなかった。
きっと売れると信じてた。
売れたらビジネスライクな関係になるんだろうな、と思ってたけど、彼らは少なくともファンの前ではずっと一緒に音楽をやるのが、一緒にバカなことをするのが、一緒にいるのが楽しそうな友だちみたいだった。
私が願ったように大きくなってそれでも楽しそうにいてくれた。
本当はずっとバンドだろうがなんだろうが、ジャニーズであろうがなかろうが、ただあの7人で楽しそうにしてる姿が見れてればよかったんだ。
辛いことや悲しいことがあっても、先が見えなくても、どんな風でも7人で笑って、いつかちょっとだけ8人の姿を見れたらそれ以外望んでなかったから、それだけのためにeighterをやって来たんだって気づいた。

でもこれから先、6人の関ジャニ∞を信用できる自信がない。
すばるくんを中心に結んでた紐が緩んだら、いつか、いつかまた誰かすばるくんを背中を追いかけて行ってしまうのではないか、でも全員が追いかけることはたぶんないから、空中分解してしまうのではないか。
そんな風に疑ったままファンを続けていけるんだろうか。
7人の綺麗な記憶のまま一切の蓋をしてしまうことも今ならまだできる。
どうしたらいいのかまだ決めきれない。
どうしよう。
それにきっとメンバーはまたすばるくんのいる関ジャニ∞に会えるのに、私は会えない。
あんなに愛したあの姿を見ることはもうできないんだ。
そんなのずるい。ずるい。ずるい。

エイトはいつもファンのことをすごく愛してくれてるけど、本当に本当に大事なものは触れさせてくれない、内のことも。
いつもいつも。
でもそんなところもずっと愛してきたんだ。

何一つ欠けても私が愛して来た関ジャニ∞じゃなくなってしまうのもわかってるのが、余計に辛い。

 

羊の木

羊はキリスト教の概念だそうだけど、宗教にまつわることは仏教ならなんとなくわかっても他の宗教はなかなか難しい、というのが本音。
それこそ肌で感じられないというか。

 

とにかく冒頭の一人ひとり月末が迎えに行くシーンがめちゃくちゃうまいな、と。1人ずつ一発でどんな人かわかる。
知られたくない秘密を抱えてる人特有の脅え、皿を包んでた新聞紙ですらきちんと畳む癖、ぴったりしたTシャツを選んでしまう感じ、そして先に大体の海辺の田舎町なら通じそうなあたりさわりのない街に対する褒め言葉を言う人。
月末のおそらくどんな人にもある前科者に対する構えを隠さない中にも、先入観から流されたくないときっちりタバコのパシリを断る生真面目さ。
この一人ひとりのことがすぐにわかるのはすごい。
先入観を持たないように、は市役所の職員としての真っ当な職務であり、それでも父親に近づかないでほしいと思うのは父親の息子という個人で。
そういう揺れ動きを演じる、ーー『普通』なんてそうそうないけどーー想像できうる実感できる『普通の小市民』を演じるのが錦戸くんは本当にうまい。
ただ全ての小市民が『善良さ』が透けてるとは限らないと思うので、それが先に来る人をきっちり演じられるのは錦戸くんのもともとにある『嘘が嫌い』とかそういう真っ直ぐさから来るんだろうな、と思ってる。

 

真性サイコパスが出てくると、モリタくんの目線で見てしまうのもうやめたい。
なんであいつら必ず人轢くときは丁寧に2度轢きするんだ。
人当たりのいい宮越は典型的なスーパーサイコパスなわけだけど、宮越は要するにギターもあやのことも月末に何らかの執着をしているからで、でもその理由が読み取れなかったんだよなぁ。
たぶんたぶん『友だち』なんだろうけど。それだと浅いような…。
『普通(凡庸とも言える)』には生きられない自分と対極だからだろうか。
宮越には信じる人も信じてくれる人もいなかったけど『信じたい人』はいてそれが月末だったのかもしれない。
宮越に信じてくれる人がいなかったのは自分を隠していたからだけども。

最後の岬のシーンは(船越英一郎だ…)とか心の中で茶化してて、まあ月末が飛び込む宮越を止めるのもなんか想定内だなー、と思っていたけどそこから怒涛のカタルシスが本当に本当に最高だった。
普通の小市民月末がサイコパスの宮越に手を引っ張られて断崖絶壁から飛び込むなんて、その上にのろろさまの顔が落ちる(天罰)なんて、あーこれが映画を映画でやる意味だよ。

 

松田龍平は長いこと『まほろの行天』か『舟を編むの馬締』の演技パターンしかないのかと思ってた。
いやすごかった。
この勢いで野獣死すべしのリメイクした方がよいのでは…本人が嫌がりそうだな。

あやの魅力が全くわからなくて、月末の好意を利用してる女、に見えるんだけどあれは不穏な空気のためにそうなってるんだろうか…。
月末はあの子の何が好きなんだ、正直に生きてるところか。
もう一回見たら変わるのかなあやの印象。
あと月末の叔母さん、『いるいる親戚にこういうおばさん』力がすごすぎて、誰がいちばん普通だったかってあの叔母さんだった。すごいな叔母さん。

 

 

余白が多いタイプの映画かな、とも思ったけど、思い返せば大事なところはきっちりセリフにしてあるので、あのキーン!という弦の音と一緒に心の中で浮かんでは消え浮かんでは消える。
太田の「(愛する旦那を殺した過去があるからといって)人を好きになってはいけないの?」というセリフがいちばん胸に来た。
いちばん人間らしい感情の揺れ動きだと思った。
そういえば自分の中のそういう感情を吐露するセリフ、宮越と杉山だけ言ってなかったかもしれない。


人は居場所があれば信じてくれる人がいれば信じるものがあれば更生できる、というのが下地がすでに雨森の言葉からあって、それがあった4人は魚深で生きていけるけどそれがなかった杉山は変われず、宮越は戻ることができなかった。
まあもともと宮越はサイコパスだからそれが通じるかはわからないんだけど。
私はそれ自体は詭弁では……と思ってしまうし、同時期公開の【スリービルボード】がすごい速さで人間の裏表裏表っていうのを見せられる内容なので、ちょっと甘いかなぁ、と感じてしまった。
大野は任侠の男だから、絶対に内藤さんを裏切らないと信じたい。
あとは人間だからわからない、前科があろうがなかろうが……。
すでに私の中でも信じるか疑うか、になっている。

 

それにしてもとてもよくできたおもしろい映画だった。
この映画に錦戸くんが主役として出ていることが関ジャニ∞のファンとしても嬉しいし、この映画を見れたことは映画好きとしても嬉しい。

 

 

そして今まで見た映画の中でもかなり印象に残るすごく素敵なエンドロールだった。
美しい海とボブディラン、人間同士の不穏な感情なんて些細なこと。

 

新年会と思い出話

『(ヨコヒナは)夫婦ですよ』発言が取られやすいけどあの時の松原ラジオですばるくんの

「喋らへんというのは逃げやと思うぞ。なんでもグループでもバンドでもそうやけど一緒にいすぎて会話なんかいらないですよとか後で会話しますとか、それは絶対逃げやからな。それは違うと思うねんオレは」

って言う言葉をずっと信じてそう思ってるメンバーがいるなら大丈夫って思って来たので、新年会の最後の「グループとしての会話をもっとしましょう」って言葉は本当に嬉しかった。
変わらないものと変わって行くとこと両方あって両方好きでいられるのはファンとして幸せな環境だな。

 

ただずっと考えてるんだけど「上には上がいてもっと大きくなりたい」の上がどこを指すのかわからなくて、嵐なのかTOKIOなのかもっと違うミスチルとかサザンとか?ドリカムとか?どこなんだろうな〜。単純にスタジアムクラスでやりたいのか。
考えてもよくわかんなかったけど全部かなー全部。
国民的お茶の間(死語だ…)のアイドルなら特典で酒飲まないしライブでコント中にベッドシーンやらないでしょ、って思いつつエイトはエイトの流儀で大きくなることを考えてるんだろう、とは思ってる。

事務所ではまあまあ上の方にいるんだし30半ばを過ぎるメンバーも出てくるし、このままを維持する努力にシフトチェンジしてもいいんじゃないかな、と思うんだけど、倉すばがあの熱さでまだ「大きくなりたい」って言ったことは、さすがに自担グループだからもちろんそういうつもりなかったけど、そういうの思ってもみなかったので関ジャニ∞ナメてたかなとも思う。
自分がチケット取れなくなるかもしれないことはとりあえず置いといて、大きくなればなるほどもっと窮屈になるんだよ、一挙一動言われるんだよ。今までの自由な(昔に比べれば今もずいぶん不自由だけど)部分も全部なくなっちゃうかもしれんないんだよ〜〜って思うんだけど、本人たちにその覚悟があるならギリギリまでの間違いならかばっちゃう覚悟もこちらはあるよ。

本人たちが感じる上がったり下がったりや安田が楽屋で泣くくらいのことはあんまり思い出せないんだけど、走っても走っても前に進んでるように見えなかったことはあるな。
こちらも歯がゆかったけど、それでも若さと情熱が互いにあったからまだいけるまだいける、って思ってた。
今は行くべきところがどこなのかわかんないけど、わかんないけどまあどこかへはたどり着くだろう、たぶん。

 

エイトの核はすばるくんだと私は思うんだけど、核分裂するように安田もそれを担っていって、エイトのリーダーシップは取るのは横山さんだけどそれをtornも担っていく未来が見えるからそれはそれで楽しいな、と。未来を楽しみに思えるグループはファンやってても楽しいから。
ひなちゃんが請け負ってた対外的なあれこれはマルちゃんも請け負うのかな〜〜。

 

 ツアーのあとはだいたいヤスくんのすごさを噛み締めてるんだけど、エイタメはより噛み締めてて。

おばちゃんの思い出話なんだけど、最近思い出すのは2006年のFTON第二弾の時の仙台公演でその日が内の誕生日だったから、会場中真っピンクでうちわも内への誕生日メッセージがすごくたくさんあっていなくてもその場でなにか祝ってくれるのではないか、みたいな雰囲気が渦巻いてた中で。
本人たちも辛かったと思うが、それはどうしてもできない大人の事情があったんだろう、そんな楽しいライブだけどなんか変な空気の中、全部背負ったのが前日誕生日の安田だったんだよね。
わかってるんだけど、わかってたけど、「会場中全員みんな自分を祝いに来てくれて祝ってくれてありがとう!!!」って丸っと全部受け止めた安田を見て、まだ彼のことよくわからない時期だったから純粋にすごい人だと思って感動したのをよく覚えてる。
わりと前のめりだった会場中が牙を抜かれたみたいな感じにもなって、ヤスくんの誕生日を全力で祝う空気になったんだ。
誰が当事者でもエイトは全員同じようにしたのかもしれないけども。
でもやっぱり安田のそういうところ本当にすごいと思う。

ということをエイタメツアーと新年会で思い出したので残したかった。

関ジャニ's エイターテイメント 雑感

その1

友だちと話し合った結果『今回のセトリが新規向けと言うなら、リサイタル含めコントが古参向け』ということになりました。
リサイタルのときも07年以降のファンでエイト以外に興味ない人はわからなくない???って疑問だったけどそこがきっと古参向けなんだ。しかしマルちゃんのマスクに「すごーい」という感想を漏らすファンに(本物のマスクを見せてやりてえ…なんなら変面も見せてやりてえ…)ってなる。
本物のマスクは宮舘くんがやるやつな!!マルちゃんのは…マルがうまくないこともあるけどあれマスクの作りが雑なんだと思う。デカ顔の方がウケるだろけどそこは思いつかなかったのかな。
ジャニーズ大好きだからザジャニース!白タキシード!群舞!ザジャニース!みたいなのももちろん興奮するんだけど、エイトの『自分が想定していたジャニーズになれなかったジャニーズコンプレックス』みたいなところも逆に逆に好き。
私から見てメンバーみんなジャニーズか大好きなのに王道ジャニーズできなかったところ好きだしいつまでもそういうとこ引きずってて欲しい。おもしろいから。ひどい。
彼の方がもっと大変だろうけども斗真とはそこが共鳴するのかなと思ってるのでFNSのキン男はもちろん仲間内の幼馴染感とは別のところでも最高だった。

風間の映画の主題歌を嵐がする世界が来てもいいはずだ。そのためには風間がものすごい商業的な映画の主演をしなきゃいけないけど、私はあんまり商業的な映画好きじゃないのでミニシアター系でも主題歌……してくれないね。

すのちゃんもその手のコンプゲージ溜まりまくってるけど王道ジャニーズの忠実な部下なのでエイトほど拗らせないと思う。

 

その2

もちろん4人が意見してないわけではないとは思うし音楽的知識も豊富であろうことはわかってるんだけど、勝手にヤンマーがエイトの音楽番長だと思ってて。

そのヤンマーが作ったものをすばるくんが絶対的な信頼を持って歌いあげる姿がたまらなく好きで。うまく言えないんだけどすごくエモい。
すばるくんって音楽面においては核みたいなとこあるじゃないですか。

コアを固めるヤンマーがいてくらまるよこひながいてエイトの音楽ができるんだと思うんだよね。


関係ないけどすばるくんがファンサするの素晴らしいことだと思うけどすばる担の言う【生きてるだけでファンサ】みたいな境地が好きだったので下界に降りてこられてしまった感ある。

【生きてるだけでファンサービス】かっこよすぎ。

エイトの宗教的な面って大元すばるくんが下界に降りてこられたらいよいよエイト教の終わりな気がする。すばるくんを崇めてるのはメンバー込みで。
オーラスの最初の挨拶の『エイターーー!!!』は久々に宗教っぽくてよかったです。昔よくあんな感じで呼んでたから。
どこも宗教的なファンはいるけどエイトの場合エイトが煽ってたからおもしろかったんだよなー。一部にはめちゃくちゃ毛虫のように嫌われてたけどーーー。


グループが危機に立たされると結束力が宗教的になっていくらしいと去年改めてわかったので、今のエイトはグループの根本を覆すような危機がないという意味でまあ平和なんだろうな。平和ボケしてるのかもしれないけど。
でも第…何章かわからんが、また新しい章に入ってきてるので楽しみだなー。

 

 

関ジャニ'sエイターテイメント 大阪

2017/1/14 17:00

1/15 16:00  京セラ

 

おぼえがき

キン男、いっつもすばりょしか見てなかったし見えなかったけどヤスくんも外野側でがっつり踊ってんのね。オーラスだからかもしれないけどすごい気迫だった。

安田のたこ焼き帽子も可愛いしタコマイでスカートひらんひらんさせるのも可愛いしあのためにスカート履いてきた安田は可愛い。いや象の猟奇的な安田も好きだよ。出産しながら舞台の宣伝できる人なかなかいないし本当にアホ。

すばりょがそんなん?!って怒ってたけど14日の安田のモノマネは横山さん込みで似てると思うよ…。すばるくんが「感じいい方じゃないけど!(=そんなに感じ悪いのか)」って言ってて感じいい方じゃないのは知ってるんだなって。横山さんはしょっちゅうトークしながら何かかき混ぜてるよ。
蓋は前につっこまれてから開けなくなったよね。今は「カロリー高い」かな。

15日はそうでもなかったけど14日はどっくんの喉おかしかったけど大丈夫なのかな。すばるくんが声枯れた時も横山さんが歌えなかった時もいつも助けてくれたどっくんの喉大事にしてほしい。

syl屋良ちゃん振り付けと聞いてがっつりがっちり見たけど「屋良ちゃん!!」ってわかる感じではなくてそういえばしばらく屋良先生の新作振付見てないと気づいた。
そしてsylが悪いわけではなく、恋涙が愛かたになれなかったようにtorn(曲の方)にはなれなかったんだ……tornは偉大だからな…ヨコヒナ込みで……。
torn初出しの頃ロメオにはなれないよ、と言われたけどそれはまあ……そう言われまくったからロメオ一回しか見たことないな。

あと大倉がsylのソロで詰まって歌えなくなった時は「やばい次はインフルだ!!!」って思ったよね…。
自らいろいろ言ってたけど「明日病気になってもいい」ってのはちょっと……1年ずっと脳内のどこかで自分を責めてたのかなーって切なくなった。
生まれながらに貴族の株主アイドルなんだからそんなに気にしないで欲しい…はきっとムリだな。
チャラい大倉くんも好きだよ。

パノラマの最初のくらまるがどんどんひどくなっていくのとなぐりガキのくらまるパートのついてくるのが気がついたら逆になってるの、ほんとにくらまるってくらまるって……可愛い。

でもマルちゃん、ジャニーズwestは7westが改名した結果じゃないよ…それ言うと封印したものが開いちゃうからダメ…。

しかしレンジャーのマルちゃんは2日間とも本当にヤバかった。あんなに腹痛くなるまで笑うこと日常ではないけど、形容できなさすぎる。
本当は普通の人でみんなを楽しませたいだけっていうけどマルちゃんもやっぱり十分変だと思う…。
あと片耳かけは正義だと思います。

山田が山田やってくれたの可愛くてよかったけど、十祭のときは『イェイイェイ!!』はパクリだから『フゥフゥ』に変えてたのにすでに忘れていたけど大丈夫なの。DVDになるんじゃ…。
でも足を運んで〜で本当に足を運ぶ人もいないし、七変化で宣伝してくれる人もそうそういないから山田ってすごい。

 

Tokyoholic〜セッション〜象〜NOROSHI(あってるかな)の流れがもうたまらなくて。

即興セッション自体バンドに馴染みのない私にはそんなものが見れるようになる未来は描いてなかったなぁ。

まだまだ想像つかないことが起きるといいな。

 

本当に本当に楽しかった。

モリタのこと

原作のモリタサイコパスで首を絞めることに性的興奮を覚える異常者で、それに対する苦悩があるらしい。

映画のモリタは1度目に見たときはサイコパスではなく、脳内の声に耳を叩くシーンに人格が乖離してるのかな、とかイジメによって壊された心が教室での自慰行為で再起不能なまでに潰されたのかなって思った。

あの手の猟奇的な話で『サイコパス』もだけどそれより『多重人格者』はまあまあ卑怯な手だな思ってるのでちょっと引っかかってたんだが、2回目見たとき多重人格者でもなくそして原作の通りサイコパスなんじゃないかと。

ウィキペディアからの引用

サイコパスの特徴

・良心が異常に欠如している

→友人(とは言い難いが)をまるで普通に遊びに誘うように殺人に誘う

・他者に冷淡で共感しない

→オカダとの居酒屋での会話

・漫然的に平然と嘘をつく

→カフェに初めて来た、いつもとは言ってない等

・行動に対する責任が全く取れない

→煙草を注意されて「もう吸ってませんから」

・罪悪感が皆無

→殺人の後の食事

・自尊心が過大で自己中心的

→通りすがりの女性への殺人暴行

まんまだった。

あの「もう吸ってませんから。もう吸ってませんから。もう吸ってませんから!」の(あ、こいつやばい…)と思わせる。『現実にいそうな避けて通るタイプ』のリアルさ。

でも暴力を厭わない2人組みには勝てない。捕食者のモリタも立場が変われば捕食される側になる。

そして、

・口が達者で表面的は魅力的

口が達者で、はともかく『表面的は魅力的』

モリタは薄気味悪くて全くかっこよくも可愛くもない。表面的ですら魅力的ではない。いちいち『ジャニーズが…』って言われるのめんどくさくなってきたけど、ジャニーズがやる意味がそこにあるのかも…でもジャニーズが云々飽きた。

ただサイコパスだから殺人犯してもしかたないね、ではない。サイコパスでも殺人を犯さない人の方がほとんどなのだから。

モリタにだってオカダに話しかけられて座っていい?って聞かれてすぐタバコの火を消してたり、ちゃんとゴミ箱に空き缶捨ててたり、パチンコ屋でおっさんに笑い返してたり、ときどき見せる『普通』があった。

そのモリタの異常性を引き出したのは高校時代の壮絶なイジメで、サイコパスとは別にあったかもしれない【普通の心】を完全に殺したのは裏切られたときの強制的な自慰行為。

恐らくあのとき自分の異常性癖にも気づいたのでは、とか思うと原作の主旨を透けさせてるのかな。

耳鳴りは多重人格なのではなく「どれが食べたい気分かな」ってメニューを前に考える心の声が人より大きくて強くて、殺人に向かうだけなのでは。確実に精神を病んではいるんだろうが。

ユカに執着してたのは何かしら惹かれたんだろうけど、恋愛感情っていう甘い言葉は似合わないからなぁ。獲物を弄ぶようにじわじわ追い詰めて犯して殺したかったんじゃないかな。

それが最大級の愛の証みたいな錯覚で。

ラストは賛否両論あるだろうけど、1回目見たときはあのラストに救われたし、そうであって欲しかった。勝手に性善説を心から望んでた。

だからあそこで息ができたけど、2回目はやっぱり蛇足な優しさかなぁとも思ったり。

ただ繰り返すけど1回目見たときはどこかなにか救いがあってくれって思いながら見てたから、繰り返し見るわけではない人たちの大多数はあのラストでしか報われない気がする。

でもモリタとオカダ、加害者と被害者どちらにとってもあんな不幸なラストはないと思う。

モリタはもう未来ではなく過去でしか生きられないし、オカダは普通多くの人が選んでしまいがちな本来なら罰せられることのない嘘の罪を、モリタへの嘘と安藤への嘘の罪を両方背負っていく。

そこがまだ飲み込めないんだよなぁ。

性善説だと尋常じゃなく辛い、ただサイコパスだからで切り捨てるとこの映画の良さの1つ、『もしかして自分もどこかで間違えたら同じようになっていたかもしれない』が無くなるし。

どっちにしろあのラストが精神に叩き込むボディブロー凄まじい。じわじわ精神を病んでく気がする。

オカダが運転するモリタに言う「モリタくんは昔はそんなことする人じゃなかったじゃない」(うろ覚え)っていうセリフのチープさ。

でも自分がオカダの立場になったらそんなチープなセリフしか言えないだろうなと思う。そういう細かいディテールが妙にリアルさを出しているんだろう。

自分はあんなにお人好しではないけども結局オカダで、安藤のように人を許したり自分の過ちを省みれる人になりたいけど何かを踏み間違えればモリタだったかもしれないし。

もしくはただモリタの横を避けて通っただけで殺されていた人のはオカダかもしれなくて。

オカダは普通の人でたまたま不釣り合いな可愛い女の子に好かれた運の良さがモリタのスイッチを押してしまったところが運が悪い。

それでも理不尽に殺された人たちよりはずっと運がいい。たまたま殺されなかっただけ。

モリタに殺された人たちはたまたま運が悪かった。こんなにやるせなくてむなしくなることはない。

避けられない不運というどうしようもなさ。

同時にモリタのことは許せないし気持ちもわからない、いじめられてたこと以外はかわいそうだとも思わないけど、彼の人生に穏やかな時間と可愛がってた犬がいたことがあるんだという事実だけは本当に辛い。

そして理解できない殺人鬼の記憶と自分が重ね合わせられる記憶があるのもすごく怖い。

人は被害者を『悪いとこがあったからそういう目にあったんだ』と思い込むことで自分が同じ目にあうかもしれないという恐怖心から逃れる最低な仕組みがあるらしいけど、加害者に対して『同じ何かを持つ』はそれの逆で、同じ人間だと認めてしまうんだもの。